利用者:八殿場
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どかちゃん年表
以下にどかちゃんの自伝的文書で書かれた出来事の時系列をまとめる。
文書ごとに相互に矛盾する点が非常に多く、フィクション要素が多く含まれていることがわかる。 ただし、以下の描写については多くの文書で共通しており、比較的信ぴょう性が高いものと思われる。
- 幼少期に秋田県から岡山県に移住した
- 養子に出された
- 男の手によって精通した
- 「大内さん」という人物と知り合った
- 義理の親父と呼べる人物と肉体関係を持った
- 3月に義理の親父と義理の兄(廣)を立て続けに亡くした
どかちゃんの半生記
1954年
秋田県鹿角市八幡平湯瀬の旅館の一家に五男として生まれる[1]。
生まれる前から父は岡山県の柵原鉱山で出稼ぎで働いていた。
1960年頃
岡山県の柵原鉱山の社宅へ移住し、日生小学校に入学する[2][3]。
1963年頃
小学四年生の夏休み、父の同僚の大内さんによって精通する[4]。
1966年頃
中学一年生の冬、大内さんの養子になる[5]。
鉱夫を辞めた養父(大内さん)と一緒に「片上の神社の階段の所のアパート」に住み、「日生の中学校」の工事現場で働く[6]。
1968年頃
児島湖近くの工事現場で働く[7]。
現場監督の難波さんと肉体関係を結ぶ。
1969年頃
中学を卒業し、難波さんの建設会社に就職する[8]。
養父と難波さんと三人で各地の工事現場を渡り歩く。
1979年頃
新潟の工事現場へ行く[9]。山口のおっさんと知り合う。
スカトロホモセックスをする[10]。
1980年以降
実の祖父が秋田から岡山を訪れる[11]。
その半年後、実の祖父の癌が発覚する[12]。
3月、実の祖父が切腹自殺する[13]。
3月3日、養父が享年61歳で死去[14]。
3月15日、難波さんが享年49歳で死去[15]。この難波さんに相当する人物が一度だけ「廣」表記となっており[16]、義理の兄の廣がモデルであったと思われる。
山口のおっさんと別れる[17]。
4歳違いの兄貴と知り合う[18]。
山口のおっさんと別れてから半年後、ヤクザに刺されて入院する[19]。
2001年
正月、兄貴との同居を決める[20]。
褌と入れ墨と日本男児の切腹
2002年
3月23日、スナック進が開店する[21]。
しんちゃんの大好きな話(短編)
1963年頃
小学四年生の夏、岡山臨港鉄道で働いていた父の同僚の大内さんに手で抜いてもらい精通する[22]。
1969年頃
高校一年生の夏、同級生数人とホモセックスをする[23]。
1972年頃
東京都内の大学に入学し、東池袋の喫茶店に下宿する[24]。土方のアルバイトで生計を立てる。
大家の親父さんと肉体関係を結び、義理の親父として慕うようになる。
1974年
夏、大家の親父さんと能登半島の先端にある温泉に出かける[25]。
1976年以降
大学を卒業して就職した後も同じ下宿に住み続ける[26]。
1980年頃
「博多の爺ちゃん」と会社の飲み会で知り合い、今に至るまで関係を持ち続ける[27]。
1987年頃
3月3日、大家の親父さんが癌で死去する[28]。
その後、岡山に帰郷する。
1990年代
岡山に帰郷して約3年後にプードルのちゃこを飼う[29]。
大家の親父さんの死去から約4年後に山田さんと知り合い、肉体関係を結ぶ[30]。
日生学園の開校式に参列する[31]。
Home
貧乏な家庭に生まれる[32]。
1963年頃
小学四年生の時に父の刺青に興味を持つ。[33]。
1966年頃
中学一年生の夏に実の父に手で抜いてもらい精通し、さらにセックスもする[34]。
1966年~1972年頃
実の父が享年61歳で死去[35]。
1972年頃
高校三年生の春に裕福な家庭の養子となる[36]。養子先の養父と肉体関係を結ぶ。
1972年~2004年頃
廣(義理の兄)が死去[39]。
新たにおっさんと付き合ったが別れる。
2000年代前半
知り合いの年上のおっちゃんがスナック進を開く。おっちゃんとの同居を始める[40]。
2004年
5月、スナック進を移転して新装開店する[41]。
Profile
1954年
4月、秋田県鹿角市八幡平湯瀬の旅館の一家に生まれる。
1960年頃
小学一年生の時に養子に出され、秋田県から岡山県に移住する。
1963年頃
小学四年生の時に実の祖父が岡山県の養子先の家へ来る。
小学四年生~六年生の時に実の祖父に手で抜いてもらい精通する。
1966年頃
中学一年生の初夏に実の祖父が死去し、秋田へ一時帰郷する。
その数ヶ月後、養父の同僚の大内さんに手で抜いてもらう。
1972年頃
高校三年生まで大内さんとの性交渉を続ける。
2004年頃
中学校の同窓会をきっかけに大内さんと再会する。
どかちゃんの部屋
1950年代後半
小学校入学前、祖父に連れられて度々隣町へ出かける[42]。
1965年頃
小学校六年生の夏休み、祖父に会いに岡山から秋田へ一時帰郷する[43]。
1999年
3月3日、親父が死去する[44]。
3月15日、義理の兄の廣が享年49歳で死去する[45]。
親父の一日
1969年頃
中学生時代、岡山のレストラン店員で後に「堂山にあるスナック正二」のマスターになる人物と知り合い、今に至るまで付き合いを続ける[46]。
1979年頃
「宮古島出身のマスター」と知り合い、今に至るまで付き合いを続ける[47]。
1999年頃
1999年以降
親父が3月3日に死去し、義理の兄が3月15日に死去する[50]。
掲示板・雑誌投稿
1975年頃
21歳の時にスナックでバイトをする[51]。
1976年頃
1月7日に大工の親父の養子となり、その影響で土木関係の仕事につく[52]。
1998年
同居している養父は72歳で存命[53]。
2001年
脚注
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ [3]
- ↑ [4]
- ↑ [5]
- ↑ [6]
- ↑ [7]
- ↑ [8]
- ↑ [9]
- ↑ [10]
- ↑ [11]
- ↑ [12]
- ↑ [13]
- ↑ [14]
- ↑ [15]
- ↑ [16]
- ↑ [17]
- ↑ [18]
- ↑ [19]
- ↑ [20]
- ↑ 怪文書:2002/05/03 20時~ 岡山のスナック
- ↑ 怪文書:臨港鉄道の大内さん
- ↑ 怪文書:高校一年の夏休み
- ↑ 怪文書:下宿の二階で
- ↑ 怪文書:夏休みの旅行
- ↑ 怪文書:お父ちゃん
- ↑ 怪文書:爺ちゃんと。前半では「30年の付き合い」と書いているが、1975年頃とすると大学在学中となるので計算が合わず、後半に出てくる「25年」の方が正しいと思われる
- ↑ 怪文書:お父ちゃん
- ↑ 怪文書:山田さん
- ↑ 怪文書:山田さん
- ↑ 1988年に開校した日生学園第一高等学校併設の日生学園附属中学校と思われる[21]。山田さんに連れられて開校式に参列したと書かれているので現実とは時系列が合わない。
- ↑ 怪文書:背中の入墨
- ↑ 怪文書:背中の入墨
- ↑ 怪文書:背中の入墨
- ↑ 怪文書:Guestbook(題名不明)
- ↑ 怪文書:養子先の親父
- ↑ 怪文書:養子先の親父
- ↑ 怪文書:Guestbook(題名不明)
- ↑ 怪文書:出会いと嫉妬と別れ
- ↑ 怪文書:新たな出会い
- ↑ 怪文書:新たな出会い
- ↑ 怪文書:列車の旅
- ↑ 怪文書:列車の旅
- ↑ 怪文書:桜の咲く頃
- ↑ 怪文書:桜の咲く頃
- ↑ [22]
- ↑ [23]
- ↑ [24]
- ↑ [25]
- ↑ [26]
- ↑ 怪文書:変態糞親父の掲示板投稿/1998年
- ↑ 怪文書:変態糞親父の掲示板投稿/1998年
- ↑ 怪文書:変態糞親父の掲示板投稿/1998年
- ↑ 怪文書:変態糞親父の掲示板投稿/2001年
- ↑ 怪文書:変態糞親父の雑誌投稿#2001年